2004年8月29日 新設
ワルザザートからオートアトラスを越えて行くとそこはマラケシュ ちょうど、オートアトラスを中心に対象にした様な位置にありますね なんたって、モロッコという名はマラケシュから来てるんですよ 知ってました? |
-- マラケシュ 小史 -- 1070年 アルモラディベ朝のアブー・バクーがこの町をモロッコの首都とする その範囲は遠くイベリア半島まで広がりスペインとの交流もこのころから 1106年 イブン・ユセフのモスク完成 ケッタマと呼ばれる水道網完成、この時代の範囲はサハラ砂漠からエブロ、アルジェリアまで 王都は大発展を遂げる この後、アルモハッド人により町は壊され廃れる 1147年 アブデルモウメンがアルモハデ朝を開き、かつての栄光を取り戻しその息子ヤコブ・エル・マンスールが 統治し商業・文化の中心となる ヤコブ・エル・マンスールの死後、町は衰退 1269年 アブー・ユセフ・アブデルがマリーン朝として首都を置くが、すぐにフェズに遷都してしまい廃れる 15世紀 サアード朝 サアード人によって首都となり、史上最高の繁栄 現国王のハッサン2世はマラケシュがお気に入りで、ちょくちょく訪れているとのこと 実は私が行った日もハッサン2世が滞在中でありました |
クトゥビアの塔 Koutoubia |
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マラケシュのランドマーク モロッコのガイドブックなどの表紙などにもなってます 当然、メディナの旧市街にあります クトゥビアとは、本屋の意味 12世紀にこの塔の近くに本屋が多くあったためこう呼ばれるようになったとさ |
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12世紀 ムワヒド朝の創始者アブド・アル・ムーミンにより着工 息子のヤコブ・ユーセフの時代にモスク完成 そしてヤコブ・エル・マンスールによって1192年に無事完成 このタワーは、ラバトにあるハッサンの塔、スペインのセビリアのヒラルダの塔と合わせて 「スリー・シスターズ・タワー」 と呼ばれる ちなみに、高さはヒラルダの塔が93mが世界1位でクトゥビアの塔は65mで世界2位です このミナレットは四角で、その四面が全てデザインが違うことでも有名 夜は見事にライトアップされます → GO! |
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ムワヒド朝の時代に一度モスクは壊されてます(↑モスク跡) 何故? その理由たるや・・・ なんと、ミフラブの方向が間違っていたそうな 正確にメッカの方向を指していなかったとか(そりゃ怒るわな) ←のてっぺんにあるL型の物がありますよね あれが、メッカの方向を指し示している物 |
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造り直したモスク 同じ所には造らなかったんだね |
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この塔は、現存するスペイン・モロッコ芸術の最高傑作の一つと言われる 外壁は、石とレンガと漆喰で覆われている 塔の一辺は13mで外壁の厚さが2.5mもある 中は6階建てで階段で登れるハズ・・・ ← の球は銅製で一番大きいので直径2m このてっぺんまでを入れると高さが77mって説もあります(不確か情報) |
--- おまけの話 7 --- マラケシュの語源は、 モラ(通る) ケシュ(速く) なんと泥棒が多い町だったのでこう呼ばれた 城壁は、メディナをぐるっと19キロ廻っていて城壁の中が旧市街となり外側が新市街 ベルベル人が60% アラブ人が40% マラケシュ 別名赤い町(赤い家が確かに多いです) 年間340〜350日晴天!!! その割には緑が多い ・・・ それは背後にそびえるアトラス山脈からの水があるから アトラス山脈から60キロもの水道管が地下にあるのです、そのため水には事欠かない 夏はなんと45度になるんだって、湿度は低いとのこと 実は、翌日朝ジャマ・エル・フナ広場に行ってみました 全然人がいません (^。^) 掃除のおじさんが清掃してました 10時頃からぽつぽつ店が開き始めます(露天じゃなくて建物内の店だね)、特定のお買い物がある人はこの時間帯の ほうがお勧め |
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